平穏な日常や趣味、育児のこと。
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テキストはやはり白背景が見やすいと思って改装したいとか、ゲームページ更新しようかとか、それよりメインを更新しなきゃと思いながら、ダラダラ日々を過ごしているダメ人間です。
今、『花の慶次』の原作らしい隆慶一郎を読んでいるんですが、正直、苦痛です。 漫画やアニメの主人公だと思えば、あのミラクルっぷりも平気だけど、歴史上の人物だと思うとダメだ。人間味が感じられなくて。 作風だとか、史料があまり残っていない人物だからとか、そんなことは問題ではなくて、相性だと思う。 ガク……謙信公登場ということで、昨日は忘れずにちゃんと見ました、大河ドラマ。 世帯主もガクトが(いろんな意味で)楽しみで見ていた。 謙信公ってゆーか、ガクトですね。髪型や服装がひとりだけ時代が違うように見えるんですが、まあ、そこはガクトのイメージを大切にしたということで、笑って流すことにしましょう。
それで早くも次週、跡継ぎ問題勃発ですか。お館様や勘助が、個人的な感情の問題で跡継ぎを決めるようなら、そりゃあ武田は滅びますよ。
井上靖氏も新田次郎氏も、側室が産んだ勝頼が跡取り=諏訪御寮人が最愛の人、という短絡的に決め付けているようにしか思えません。 子供の数だけで寵愛を計るのは馬鹿馬鹿しいと承知の上で書きますが、正室の三条夫人は5人の子を産んでいます。対する「最愛の」諏訪御寮人は勝頼だけ。 彼女は勝頼を産んだ9年後に亡くなったようですが、寵愛深かったなら、もっと子供に恵まれても良かったのでは? 寧ろ、諏訪を継がせる男児ができたから良かった、というようにも受け取れます。 (信玄には、3人の子を産ませた側室もいるので、寵で言えば彼女の方が深かったのでは。) 信玄の男児の中で「信」の字を持たないのは勝頼だけだし、彼はずっと諏訪姓を名乗っていた。3人の兄に不幸があったために、転がり込んだ武田家当主としか思えません。それが不幸だったとも思いますが。 三条夫人は清華七家の出身で、姉は細川晴元室、妹は本願寺顕如夫人。政治的なものを配慮しても疎かにはできないでしょう。 側室は正室の管理下にあります。信長は次男だけど正室の子であるため織田家を継いだし、彼の長男は正室(帰蝶=濃姫)の養子にしているし、伊達政宗も側室が産んだ長男ではなく、正室が産んだ次男を跡取りにしています。寵愛だけで跡取りを決める、ということは良識があればできないことだと思います。 何が言いたいかといいますと、当時の一夫多妻の制度を、現代の感覚で判断してはいけない、ということです。 一夫一婦制度が定着した現代人が、現代人だけの感覚を以ってして、一夫多妻=浮気性、側室がいる=正室は愛されていない、というのは早計です。当時には当時のルールや常識があります。 ドラマは歴史に興味を持つきっかけになる可能性もありますし、現代人の感覚に媚びず、過去の常識、制度、風俗を伝えてほしいと思うわけです。 PR |
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